一人だけタイトルが浮いていたからねぇ

  • 首の皮一枚

僕は今日までの18年間、「余裕」というものが全く存在しない。
全てがギリギリのところで何とかなっているようなものである。

ことの始まりは今から6年前にさかのぼる。僕がまだ小学校6年生の頃である。
当時僕はクラスの中で最も宿題を提出しない無知無能な悪餓鬼であった。
「別に宿題を出さんでもどーにかなる。」と考えていたらしい。
そして月日は経ち、卒業式の3日前をになった時、担任が思いがけない一言を放った。
「てめぇ今まで出さんかった宿題やらんと卒業させねぇぞ。」
・・・この頃の僕にとってこの言葉は脅迫にしか聞こえなかったらしく、
「は、はい!」
としか言えなかった。そして死ぬ気で宿題を終わらせ、何とか卒業出来たのだった…。

中学に入学してすぐにテストがあった。なぜか点数が異様に良かった。
しかしこれが悲劇の始まりだとは本人も気付いていなかった。
有頂天になった僕は全くといって良いほど勉強をしなくなった。
そして気付かぬうちに重力の法則の如く落下する僕の成績。
急転直下のようにみるみる悪化してさまは、さぞかし面白いだろう。
そして赤点のオンパレード。さらに補習という名の地獄。

悲劇は学習面だけではなかった。
剣道部に入部していた僕は小学校のころから剣道をやっていたにも関わらず、
いまだに一級すら取得していなかった。
同級生はすでに取得済みで、初段にさしかかっていたのに僕だけが一級なのである。
神は私を見捨てたのかと劣等感に苛まれた。
僕は心に深い傷を負いながら二年に進級した。
中学は義務教育のためよほどの事がない限り留年しない。
義務教育様々である。しかし、進級したからといって安心したのも束の間。
僕の身に降り注ぐ禍いはとどまることを知らない。
学年が一つ上がれば当然授業も一年の頃とは比べ物にならないほど難解になる。
数学に関しては、一年の時に身に付けた基礎が無ければ終わりらしい。
勿論僕は一年の時、なまけの道を極めていたようなものなので
そんなものはわかるハズがない。こんな日が何日も続き、期末試験を迎えた。
問題を見たとたん、自分が原始人のように思えた。全くわからなかった。
結果は言うまでもなく最悪だった。
数学に至っては、歴代自己最低点を叩き出してしまった。

しかしこれで禍いが終わったわけではなかった。二学期に入ってしばらくすると、
三者面談があった。そしてその三者面談の時に担任の口から、
「お前は定時制の高校に行ったほうがいい。俺が保証する。」
ということを告げられた。魂が抜けそうになった。
しかし、これが今の自分の立場を明確に知るいいきっかけとなった。
そして僕は成績を少しでも上げようと必死に勉強しようとしたがやめた。
やめたというか出来なかった。
一年の頃から積み重ねるべき基礎が無いので何が何だかさっぱりわからないのだ。
そして僕の成績は救いようの無い領域に達していた。
「あーこりゃーもーだめだ。」
と思っていたその時、奇跡と呼ぶにふさわしい出来事が起こったのだ。
剣道の初段を取得したのだ。
勉強に比べると部活はまだマシといった感じで勉強よりマトモにやっていたらしい。
そして初段を取得したことによってすいせんの話が来て
ギリギリのところで何とか無事合格出来たのだ。

高校に入学した後も幾度と無く壁にブチ当たることがあった。
その時も今までのように何とか切り抜けてきた。
そしてこれからも今までのように何とかなって欲しいと願うばかりだが、
流石にそうはいかないと思う。
もしも本当にこの先何も努力せずに何とかなってしまった場合、
己の実力を過信して努力する心が欠けてしまい、
中学校時代の過ちを再び繰り返すことになる。
そんな風にならないためにまず「何とかなる」という考え方を「自分で何とかする」に
変えていく必要がある。そしてこれからは、
何をするにも余裕を持って行動することが自分にとって何よりも大事なことになると思う。
「綱渡り人生」であった自分に別れを告げて、新たな生き方を見つけ、
そしてこの先また悲劇を繰り返さないことを心から祈りたい。 -完-


文が荒く訂正したいのですがあえて誤字等を訂正せずにそのまま晒しました。
ものの見事にハメられて多数決によってクラス代表に選出され、
この文章を、学年生徒全員の前でマイク使って読みました。
失笑と哀れみの眼差しが実に痛々しく、己が晒し者だと思わざるを得ない状況でした。
しかも次の方が泣き入れながら読んでいるんですよ、そんで会場が静まり返ったりして。
何だコレ。俺何。部活の送別会の時もそんなんだったし。