腐れに腐って腐り果てた果てに見るものは
さっそく洗濯機を使ったはいいが、明日までに乾かせにゃならんてえことで、洗濯かごを片手にいつものコインランドリーに足を運ぶ。
衣類達にまとわりついた水気が「運ぶ」を「耐久トレ」に変貌させてくれて、引き手である右手の錬成に丁度いい。
こんなこと考えてる自分はそろそろ痛いなと感じつつも鍛えることを意識している自分はそれほど嫌いじゃない。
500円だまを細かくして20分の乾燥をしているあいだ、久しぶりに飲むミルクティー片手にかれこれ四年の付き合いになる端末で過去のメールをちらりちらり。
友人・家族・上司・同僚・恋人との話の断片のなかにぽつぽつと見え隠れする俺の日記。
希望と期待で前の職場を去る三ヶ月前からの日記を見てみる。
一言でいうなれば「生気を感じる」。
エゴイスティックさが滲み出していて、それが底から訴えかける本心に感じた。
あとは、表現。
例えやら何やらを多用しているところが巧みな表現をしようと背伸びしている自分らしさを感じる。
巧みな表現を多用し、文章で相手に伝えるのは実現できちゃおらん。
絵で表現することもここ最近ペンを握っていなかったため実現できちゃおらん。
マシンガントークや口達者でもないんで口でも実現できちゃおらん。
腐ったな。俺。
先ずは、無駄を省き尽そうか。
では、また明日!