成 長

ポケモンのわざでせいちょうってあるけど、


何回までせいちょうするんだろう。


それはさておき、


タイトルは中学時代の文集となります。


前に帰省した際にふと目に入り、


ただ何となくバッグに放り込みました。


で、結局読まず放置が続いてつい先日、


引っ越し準備を兼ねた部屋の片付け中に目撃。


懐かしさと気分転換したさに押されて手にとって開く。


、、、、、、、、、、、、、、。


なんだろう。みんなすごいな。


これ書いたの本当に中一か!?


いや、中一だからこそとも言うべきか。


発想力の広がりを垣間見た。


そんな感じ。


そして何より夢がある。希望がある。


作品以外にも恩師の言葉がある。


、、、、、、、、、、、、、。


今の俺が思いつくどんな励ましの言葉よりも、


深く心に染み渡って広がる感じがする。


そんな思いを無いものとしてきた俺は、


どれだけ失礼極まりない人災だったろうな。


年を経て大人という括りになって、


そろそろ五年の月日が経とうとしている。


自覚したかどうだか分からないが、


仕事での自称は「私」に変えるようにした。


外っつら変えるようにしているが、


肝心の内面はどうなんだろうか。


夢や志を抱いてひたむきだった時代はあったろう。


知らないことに想像馳せたり疑問を投げかけたりしたろう。


だが、成人してから現在まではどうだろうか。


労を重ねて知ることよりも、時間を重ねて楽しむことに時間を費やすことがしばしばあった。


遠い頂に夢を馳るだけ馳せて、体は背を向いて自ら退路を築いて、己が身と現状に甘んじている自分がいるときもあった。


経緯はどうであれ、人が失敗している、ケガをした人を見て、ざまあみろ、とか笑ったりしていたこともあった。


すべてを読み終えて、表紙の成長の二文字を見て感じたことはひとつ。


成長しよう。


それだけである。


まだまだ、人生これからだ。