反骨心を原動力に変えてゆけ

一昔前の話を思い出しました。間接的に。指摘喰らいました。どうやら動かない人間であると思われていたようです。

人は思いがけない注意を受けたとき、どんな行動を起こすのでしょうか?そんなことしてるわけないじゃないかと同期に愚痴るのか、また真っ向から無謀にも立ち向かうのか、そうだったんだ、そう思われているんだと意気消沈するのか、ご指摘ありがとうございますと指摘いただいた上長に対し感謝の意をこめて指摘点の是正に努めるのか、空返事しといてしれーっと聞き流すのか、俺がぱっと考え付いたのはこの程度でまだまだいっぱいありそうだがこの程度で収めときます。

俺は正直はいそうですか、そうなんだ、という性分ではないです。人には指摘を素直に受け入れて感謝するのがいいと言っているのに自分じゃそうじゃない、てめえはどっちの味方だアァーッ!と罵声を浴びせたいことと思います。自分の心は実に単純で且つ感情的です。ものの判断にしても「自分が納得する」と判断できるか否か、それだけです。納得できなけりゃ納得できる分の情報を聞き出すかこちらから提案します。発言してる人間の信用は正直あまり見ません、どうでもいいです。話をするときは誰が言っているかより何を言っているかを第一に考えます。偏見も持ちますし図太いように見える(らしい)ようで意見が頻繁に変わります。日記をのぞいていらっしゃる方であれば納得するかもしれませんね。そんな人間が指摘を受けたときにどうなるか。

まず真っ先にカチンときます(笑)自分の行動全てが「自分が納得した」うえでの行動なので否定されるのは響きます。直後に反発する心がわきあがります(笑)「ふざけんじゃねえよ」「目ん玉付いてるんですかァーッ!?」ってやつです。次に我に返ります。返らない時は全身の力を抜いて深呼吸したり上向いてます(笑)傍目からすれば非常に滑稽な光景なんでしょうが気にしません。ここで収まらない理性のない自分を表に出したら獣同然なのでどうにか返します。
ここで指摘を思い出します。指摘を受けたときの状況は再度我を忘れかねないので考えません。今回の場合、俺の動きが足りないと言う指摘です。
俺はここでひとつのラインを引きます。勝敗ラインのようなものです。今後「よく動いているな」と指摘元から言われる=勝ち もう一度「動いていない」と言われる=負け って感じです。俺自身、元来負けず嫌いの化身なのかと言わんばかりに負けという言葉を嫌います。ある意味では、時代風潮に逆らう気骨なのかもしれませんね。

まあそんなラインを引いたところで、あれこれ考えます。勝つため、負けないためにはどうするか、恐らく指摘元は一日二日で言葉を覆さないだろうしそう見えても言わないかもしれない、じゃあどうしよう、周りの人間納得させればおのずと言うだろう、言う状況を作り出せばいいんじゃないか?納得させるには動くだけじゃ意味がないただのアピールなんじゃないか、それなら予測される作業を前倒してやったりするのもいいんじゃないか?繰り返し作業なら盲点になりやすいところを見出したしてカバーすればいいんじゃないか?

そう考えて個人で定義した勝負を日々すごしていたことを記憶してます。ただ気づくことは目標達成(=勝ち)したときは我を忘れそうな感情はなかったです。根っこが反骨心に近い負けん気だったのに不思議な話です。周りがそうさせてくれるのかもしれません。今も指摘などを受けたときには色々考えますがこれに近かったりします。

ここまで書いといてなんですが、人間素直が一番と思います(笑)上に書いたのは、素直になれない男の苦肉の策ということにして下さい。類語でもなんでもないですが「なりふり構わず」この言葉は好きじゃないです。

うっわ、なんだこりゃ。長いわ。