結果主義への反旗ではないが

この間、とは言っても先日終わった九州場所で、嘉風が勝ち越した日に久しぶりに大相撲を見たら、解説に舞の海振分親方(元武蔵丸)が出ていて、技と力の、実に対照的な面子に面白さを覚えて、ついつい見入ってしまった。
とは言ってもメインは解説なので試合を見るよりも取組に対する解説に聞き入っていたという感じだった。
聞き入っていたのは武蔵丸の方で、しきりに「稽古が足りない」を連発していたのを記憶している。
単調で説得力ないなとパッと思ったときに、武蔵丸の現役時代の取り組みが画面に映し出された。
まさに圧巻であった。
相手は貴乃花で優勝が決まる一戦。
貴乃花がまわしを取って一度、二度と攻めをかけるも踏みとどまる武蔵丸
どうせ体重だろと思って流せるものなのかもしれない、だが、どうもそうには見えないのだ。
人間いくら重くても重心崩せばいとも簡単に地に落ちる。というのは柔道部に投げられりゃ分かる話。
そんなんで貴乃花が三度目、最後の攻めをかましたとき、体を若干崩すも再び踏みとどまり、そして武蔵丸が反撃に出て力尽きた貴乃花をあっさり上手投げで勝ちを決めた。
これで何を感じたかというと、長い、とにかく取り組みが長いのだ。
そしてその長い長い取り組みの中で両者が最後の最後まで諦めていない。
深い感動を覚えたと共に、自分が忘れていた、忘れようとしていたものを思い出せたように感じている。
甘く軽い誘惑に負けるなと叫んで足首を掴んで離さない片割れを引きずり回して判断つかずに楽な道に欲のままに走っていたようなことが思い出された。
表面化する短絡的な取り組みだけで得られる成果だけを求めて三日坊主も驚く姑息な取り組みで食いつなぐだけだった事も合わせて。
ボロボロになって姿形は見窄らしくとも雑巾の意義を果たしているボロ雑巾のように、強い思いが萎んでいるのを実感した。
ならばこれから冷たくなった心に再着火して温めるまでよ。
プランは出来つつあるので、ハラ決めることと段取り確実にしていくところが肝要ですね。
うし。