見上げた空にうつるもの

だいぶ自分要因でとちったところがあり、当初の転居の件は一旦となっている感じである。
何にせよ、悔やんでも変わるものもプラスに働く要素も生まれないので、感情を置いといて、どちらの結果に転がった際の備えをしていく次第である。

結果はいずれにしろ、愛知での用件が済んで直帰をと考えて、東京行きのチケット買って乗り込んだはいいが、昨日あたりから騒がれている伊豆地方の地震が再発したとの通知を友人から受け取り、もういっそ実家に帰ろうと決意(もともと考えてはいたが再認識)して、掛川で降車し代金は引き戻しとした。
途中、東海道線掛川駅で電車を待っている時に「嗚呼、コート着よう」と吐く息が湯気のように空に消えゆく様を眺めていた時、満天の空に浮かぶ煌びやかな星々が視界に広がっており、感動をおぼえた。
星が近く見え、輝きがより一層明らかで、色彩の判別がつくレベルである。
空の透明度も明らかに違い、それが星の輝きを引き立てている感じだ。
これは以前、自衛官の部隊規模での富士登頂の登り始めの5合目で見て感じた感動に似た感情の変化である。

ここ最近を振り返ってみると、東京に居て空を見て星を探す事はするわけもなく、ただただ変化の著しい仕事環境に流され、身近な景色の移り変わりに気付かなかったと感じている。
都市にも、田舎にもある要素は存在し、それは感ずる人の心持ちであったり置かれている立場、環境に応じて見える角度が変わってくる。
その見える角度の変化も、その環境に長く居着く事で生ずる慣れや飽き、そしてそれらから派生する今にない環境への渇望、羨望がマイナス面を見ようとする角度となり、逆に初、転居したて、そこにしかない環境(ご当地的なもの)などから感ずる「よい」と思える事がプラス面を見ようと作用するんじゃないかと思っている。
そういった意味じゃ、今回のはマイナス側に働いているなと思ったり。
東海道線から見捨てられているとか、地味に過疎化が進行しているとか、JALに見離された空港の所在地とか色々問題は多々あるが、まだまだ捨てたもんじゃないぜ。

そんな感じである。