LIVE in train

京浜東北線車内で東京めざし中。
会社絡みの通夜の帰りです。

色んなものが絡んで少々デリケートな話しになるがさせていただく。

通夜をはじめとしこういった冠婚葬祭は取り敢えず集おうという根拠と意図が見えない方針のもと、社員全員が通夜に参列する形となってるが、これは果たして賢明な判断だろうかと、参列中に考えてしまった。

今回というか、大方の参列は会社で働いていた方ではなくその父親や母親であることが多い。
つまり、供養される当人側からしたら全くの赤の他人。
「息子の知り合いか」といった感じにとれるように思う。
本来こういったものって、有志(志願?)の方がお世話になりました、など意志を持って参列するものだと俺は認識しているが、今自分たちがしていることは志願ではなく義務であることは間違いない。
供養される方が生前どんなひとだったか、また、何をされていた方なのかも喪主の話を受けて初めて認識したぐらいである。
目に見える形として捉えるか、参列者の姿勢として見るかの違いだけど、俺個人の偏見かも知れないけど、後者の方が大事なんじゃないかなって思う。

これらのことを書き出して考えついた憶測が「あなたの息子が働いている会社はあなたの葬儀に参列し、また運営の手伝いもしましたよ」「あなた(社員の方)の会社はあなたの家族に対して冠婚葬祭の参加を行う、あなたの家族と繋がりのある会社ですよ」だった。
さらに詰めると「貸し」を意図的に作っているように感じる。
される側からしたら、葬儀に会社をあげて参列されれば、どうしても恩義に感じてしまうように感じるが、喪主側として、家族側として何を思うだろうか?

そして俺自身はそういった考えを巡らせつつも、意志とは相反に荷担したことになる。
だから、申し訳ないという気持ちに駆り立てられた。

今回のことは昭和の田舎町によくあるような昔ながらの良い習慣と結論づけてしまえばそれまでだが、疑問符を付け始めたら始めたでキリがない。

なかなかモヤっとした感じで終わりそうな週末である。
モャっとしようが清々しさ満開であろうが、明日はくるので、ひとまず携帯のメモ帳に書き出して、機を見て(というか今週の木曜日(笑))色々聞き出して整理してみるよう申し立てよう。
俺自身はそれほど痛手じゃないが、会社として、また遠方から参列した他の方からすれば、 交通費が出ると出ないとじゃ違うだろうし(今は基本でない方針)。 痛手があるとすれば申し立てるときのカウンター(複数)ぐらいだが問題にならん。

さて、帰って準備して今日は早く寝ます。
あ、あと土曜日に木更津海岸に行って潮干狩りした話についてはおいおい(このケースは気化することが多い)。
木更津キャッツアイの収録場所みたいでした。

んではー。