「うつ」という言葉を知ったのは社会人になってから

私自身、鬱(漢字で書くと深刻な病に見えますね)予備群だったみたいですが、
(というよりアンケート形式の質問回答で うつ と診断された)
世にこの言葉が浸透してなくその時まで病の存在を知りませんでした。
で、その言葉を知ってからですね、容態が悪化し始めたのは。
「そういうものがあるんだ」「私は病の身なんだ」と意識してから。
そしたら、周りにもガチ鬱がちらちらと居ました。前職では多かったです。
常に隔離されている環境に身をおく自衛官のうつは結構いるようですね。

思うに、この言葉が世に出てから気軽に使われるようになってから、
軽く落ち込んでしまっただけでうつなんじゃないかと懸念したり、
ひどい人じゃうつなんだと思い込んで本当にうつになるケースもある。
都合の良い言葉が生み出した社会的保護の入口にも感じます。
ニュースを見る限り、うつのケアはソフトな隔離に近いものを感じます。

こういった症状(敢えて病とは書かない)の最終的な解決方法って、
結局自発的に立ち直ることだと思います。
その自発的に立ち直るためには多大な期間を要します。
当たり前ですね。
1人で考えるわけですから、自分に都合の良い答え
(大抵妥協とか他人に非を着せるなど)しか導き出せないわけですから。
一応正しい応えは見えていると思うんですよ。こうすればよいという選択肢は。
ただ、即座に「ないない」「それは無理だ」と選択肢から除外してしまう。
だから、はっきり言ってこの時間は無駄です。時間は待ってくれません。
原因がはっきりしているならそれをやってみろってことです。
少しでもいい、人に会っていくことです。親しい友人など。
それをやる一歩が出ないから困っているってんなら尚更です。
周りの人は、絶えず声をかけていくことが必要じゃないかって思います。
荒療治?とんでもない。
人間関係での発病であればそれを直すのも人なのはいうまでもない。

私や私の周りの人の場合、
常に人と会う寮生活だったので、回復は驚くほど早かったです。
結局、解決の糸口は自分の心持ちで、それをアシストしてくれたのは
周りの上司や同期の人間でした。
その際、同情や慰めはありませんでした。
同期などから「自分に負けるな」的な励ましを繰り返しいただいてました。
そして皆、つねに笑顔で接してくれた事を覚えています。
当時を振り返ると私個人としても同情慰めは求めていない気もします。

大袈裟に考えすぎず、病の名を逃げ道にするなって思うし、
甘く見るなって言うならもっと必死に抗って下さいって言います。
公衆の面前に弱弱しい醜態を知人友人同期等に晒したくないと思うが、
もし這い上がって元気になればその課程を見てもらえて理解者が増えるだろうし。
だいたいこういのはあとでこんなこともあったけなと笑い話になるし。
どん底から這い上がるなんて、まさにヒーローでかっこいいじゃないか。
って思う。

不意に、なぜかスラムダンクの山王が湘北に破れた際に監督が放った言葉を思い出した。

うつな人に、言ってはいけないこの言葉
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=895770&media_id=77